トラブルメーカーと呼ばれて

2006年11月24日 | 0comments | 0trackbacks

私を採用した大阪全日空ホテルも私に担当されたお客様も私に担当を任せたセールスマンも、みんな当時は後悔していたかもしれません。(笑)
だって、当時私の顔を見た料理長は、「トラブルメーカーが来た」といっていたのですから。

大阪の大手ガス会社の新作発表会ではコンパニオンの発注ミスを犯し(このときは最終でいただいた資料の宴会時間の変更を見落としていたんです)、自動車メーカーのプレス発表会では看板が吊れなくなり(セールス担当と土下座して謝りましたっけ)、オンテーブルシッティング(卓盛り料理)を立食で発注し(料理長が走り回ってかっこつけてくださいました)、ある保育園連盟の大きな大会では控え室でドリンクを出すように注文いただいていたにもかかわらず手配ミスを犯し(このときは、先方の担当の方が連盟のトップの方から随分叱責されて、本当に申し訳ありませんでした)、アメリカのバスケットボール選手が沢山集まる宴会では、主催者がわざわざ立派な有頭えびを持ち込まれたにもかかわらず、調理に連絡していなかったため頭を落としてしまったり、(このとき、主催者の代表の方が、「誰が頭落とせといった!何とかしろ!」って準備中の宴会場で叫ばれ、調理場に走って、料理長に「何とかなりませんか?」なんて無理なお願いしたものです。)見積の室料を一桁少なく提出して大目玉を食らったり。(それだけじゃないぞ!とどこかから声が飛んできそうですが)およそ人間が考えられるすべての失敗を一人でやらかしていたような感じでした。それも、開業半年ほどの短い間にです。この失敗癖は、実は、その後もちゃんと直らなかったのですが。おかげで、ホテル中の人に私の名前を覚えていただけることになったのです。当時の大阪全日空ホテルの人たちはみんな優しかったなあ。そんな私でも、許されていたのですから。お客様にも恵まれていましたね。先にお話した失敗の対象になった宴会のお客様のうち何人かのお客様は、その後私の顧客になってくださり今でもつき合わせていただいている方があるんですからね。ありがとうございます。皆さんの優しさにさせられて今の私があります。
そんなむちゃくちゃなスタートを切った全日空ホテルでのホテルマン生活。ただがむしゃらに過ごし、気がついたら3年経っていました。

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