親切とお節介

2012年06月10日 |

サービス業に従事する者は親切でなければならない。
これは私の持論です。

人のお世話をする仕事ですから、人に親切でなければなりません。
仕事の間、つまり制服を着ているときは親切だけど、制服を着ていないときは不親切、
などというようなことはありえませんから。

ふとした表情や態度、動作に微妙に出てしまうものです。

もちろんプロのサービスマンですから、仕事の時は最高のサービスを心がけるわけで、
その緊張感が常に持続できるわけはありませんから、
どんな時もお客様に接するような態度でいることは不可能でしょう。
けれども、お年寄りに親切であるとか、困っている人を見てみぬ振りしないとか。
そんなに大したことではなく、普通に親切であることは当たり前に求められることでしょう。
人間の咄嗟の表情や行動には本心が表れるものですから。

今日の新聞の投稿欄に“駅の階段での出来事”が載せられていました。
『階段しかない駅で、ベビーカーの若いお母さんが困っていた。
投稿者は68歳の女性。声をかけようか迷っていると、若いお母さんはベビーカーを持ち上げて階段を上っていった。
声をかければよかったと後悔したが、一人で階段を上ってみると息が切れる。
やっぱり手伝わなくてよかったのかもしれない。』
こんな話でした。

ところで、『お節介』を辞書で引いてみると、
『でしゃばって要らぬ世話をやく事。ただ、真心の行為の結果が当事者には余計であったということ』
とありました。

真心の行為であるわけですから、親切心の表れということでしょう。
つまりは、親切 ≒ お節介といってもいいということでしょう。

3月に受講した実践心理学の中で先生が、「目の前で起こっている事象そのものには何の意味もない」とおっしゃっていました。この言葉がとても強く右脳に張り付いているようで、常に頭の片隅にあります。
事象そのものには意味はなく、それの当事者の意識や感情が勝手に意味を持たせているということだと解釈しています。
つまり、親切心を「親切」と受け止めるか「お節介」と受け止めるかは当事者次第であって、行為を行う方は真心のおもむくままに行動しているだけだという事です。

先の投稿者はこんな風に締めくくっていらっしゃいました。
『あれこれ思いをめぐらすうち、親切心にも謙虚さを忘れず、それでもできることがあれば勇気を持って近付こう』
サービスを提供している私たちは、お客様がどのように感じられるかを常に意識しながら行動しなければなりません。
しかしながら、一度や二度失敗したからといって、考えすぎたり慎重になりすぎるよりも、
お節介でもいいじゃないですか、マニュアルの範囲でそれ以上何もしないでいるよりも。勇気を出して近付いてみれば。



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